「DNAでたどる日本人10万年の旅」を読んで 下
http://naganaga5.hatenablog.com/entry/2014/02/27/211240
の続きです。
DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?
- 作者: 崎谷満
- 出版社/メーカー: 昭和堂
- 発売日: 2008/01
- メディア: 単行本
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前章まではDNAによる推察でしたが、次からは言語学など違う側面からも古代の日本についてスポットライトを当てていきます。正直言えば、こちらのほうが本書の白眉となる印象を受けました。
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第3章 日本列島における言語の多様な姿
日本列島には北からアイヌ語、日本語、琉球語の三つの言語圏が存在する。
琉球語と日本語とは同じ系統の言語、同じ言語族に所属することがわかっている。しかしアイヌ語は別系統の言語と考えるのが妥当である。
言語の変化はいろいろな要因によって引き起こされるが、言語内部の変化、および外部からの影響の二つに大別される。
言語内部の変化の過程は、比較言語学によって検討されてきた。共通の祖語から、言語内部の要因によって複数の言語が成立したと考える。
この方法によってインド・ヨーロッパ語族、ウラル語族、セム語族、オーストロネシア語族が確立された。
この系統樹モデルによる言語生成理論の前提条件についてはいろいろな問題点が指摘されているが、現在でも有効性は認められている。
日本語の成立に関して、過去長い間にわたって比較言語学の専門家による研究が重ねられているが、ほとんど有力な仮説がない状態である。
ここでは渡来系弥生人について簡単に検討してみる。
渡来系弥生人はY染色体O2b系統ヒト集団であり、長江文明に由来するようであり、オーストロアジア系集団と考えられる。
東南アジアの集団はオーストロアジア系言語を保持しているのに対して、朝鮮半島、日本列島の集団は母国語を消失したようである。
では、渡来系弥生人が逃亡先、つまり日本で使用するようになった言語はいったい誰が使用していたのだろうか。
渡来系弥生人は先住系集団であるD2系統集団に受け入れられながら、O2b系統もD2系統もともにこの日本列島で増加していったことが確かめられている。
つまり渡来系弥生人によって先住系縄文系ヒト集団が駆逐されるような事態は日本列島では起きなかった。
ユーラシア大陸東部でみられるような先住系集団の消滅が日本列島では起きなかったことは、新石器時代の文化・言語の継承を考えるうえで重要な点である。
また日本列島以外にD系統がまとまってみられるのはチベット・ビルマ系だけである。
チベット・ビルマ系祖語と日本語の間に関連性があるのかどうか、今後の解明が待たれる。
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第4章 日本列島における多様な民族・文化の共存
九州・四国・本州が金属器時代(弥生時代)に入っていく紀元前三世紀になっても、北海道まで弥生文化は達することはなく、その後北海道は続新石器時代へと移行していく。
6世紀ごろから次第に道南から擦文文化へ移行するが、土器に関しては縄文土器から縄文を欠く擦文土器への変遷が見られる。
擦文文化は本州の平安文化の影響を東北北部を通して受け入れた背景があるようであり、それまでの北海道における新石器時代文化・続新石器時代文化の伝統とは異なる文化の要素が強くなってくる。
金属器についても北海道内での製作が始まる。続新石器時代に鉄器の使用は確認されるが、本格的な普及は擦文文化の時代に入ってからのようである。
なお、これらの系統と異なる文化が道北からオホーツク海沿岸において紀元前5世紀ごろから10世紀ごろまで存在した。これがオホーツク文化である。
さらにオホーツク文化と擦文文化との融合した文化が道東(網走から釧路を結ぶ線の東側)に確認され、トビニタイ文化といわれている。9世紀から12世紀にかけての過渡的文化である。
アイヌ文化と擦文文化との文化的要素にはかなりの断絶が指摘されている。
オホーツク文化およびその影響かにあるトビニタイ文化が、近世のアイヌ文化成立に何らかの役割を果たしている可能性が考えられる。
もしそうであれば、アイヌ文化における北方シベリア系文化の要素の重要性を再認識する必要性があるかもしれない。
なおアイヌ民族の生業として狩猟、最終や漁撈だけが注目されるが、実際には雑穀農耕もかなりおこなわれている。
本州を経て流入したルート以外に、別系統のサハリン経由のルートも想定される。
アイヌ文化は縄文文化と同一視することはできない。
それはDNA多型からも文化的にも、アイヌ民族・アイヌ文化はシベリア系北方文化の要素を強く保持し、日本列島中間部に固有の縄文文化の要素が加味されたものであることが想定される。
縄文系言語(日本語)とアイヌ語が系統的にまったく異なることなどから、アイヌ語はシベリア系の古い言語を保持している可能性が高いものと思われる。
奄美諸島と沖縄諸島を合わせて北琉球とする。それに対して南琉球は先島諸島の宮古諸島と八重山諸島とを含むことにする。
この琉球における先史時代は日本列島中間部とはかなり異なる状況を示している。
約6,300年前の鬼界カルデラの噴火によって南九州の貝文文化が滅亡したあと、縄文文化が南九州へ広がっていったが、その流れが一部北琉球まで及んだようである。
しかし北琉球は本質的に縄文文化と異なり、漁撈を中心とする独自の貝塚文化が続くことになった。
南琉球の先島先史文化人については、台湾やフィリピンなどのオーストロネシア系文化の影響下にあったことが推定されているのでY染色体O1系統もその可能性が高い。
つまりアイヌ・琉球同系論は支持されないことを意味し、琉球諸島先住民はアイヌ民族とは関連性が低いことが伺われる。
形質人類学からも同じような見解が表明されており、DNA多型分析による推定と同じような結論へ至っているようである。
琉球民族の成立は、このように日本列島中間部やアイヌ民族とは非常に異なる経過によっており、琉球独自の歴史が認められる。
日本列島の中間部を構成する九州・四国・本州、つまり狭義の日本においても、非常に多様な歴史、文化が共存していることが十分にうかがわれる。
日本列島中間部において東西二つの文化に相違が認められるうえに、東日本および西日本内部においてもさらに細かい文化圏の差異が認められるようである。
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第5章 多様性喪失の圧力に対して
日本列島において、ヨーロッパ文明の影響かにある国民国家という概念は、むしろ日本列島の伝統的価値観の喪失に拍車をかけている。
つぎに、経済のグローバル化が、全世界的に文化や言語の多様性喪失に拍車をかけてきていることが指摘されている。
日本列島において伝統的であった多様性維持を再評価し、それを普遍的な言葉でもって国際的に発信することで、共生の原理によって、世界的な対立の回避、緩和を進める可能性とチャンスがわれわれの手元にあるのではないだろうか。
まとめ
一時期話題となった、水稲栽培の始まりの長江文明についても幾度か言及されていますが、今はどれほど研究が進んでいるのか、その点からのアプローチも楽しみです。
本書の内容の一部は、ダイヤモンドの「昨日までの世界」にも相通ずるところがあると思います。未読の方はぜひ。