「子どもの貧困」と普遍的制度 (1)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakatadaigo/20140131-00032162/
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakatadaigo/20140131-00032163/
で中田先生が言及されていた、阿部先生の新刊です。
先の中田先生の記事もショッキングな内容ですが、本書の内容もショッキングな内容であり、できるだけ多くの皆さんに読んでほしい多くの子どもの貧困に対する知見や内外の研究成果を集めた力作となっています。
はじめに
2008年は、日本の社会政策学者の間で「子どもの貧困元年」といわれる年である。
この年から子供の貧困問題が始まったということではない。この年に初めて、日本で子どもの貧困がマスメディアや政策論議の机上にのった、という意味である。
「子どもの貧困元年」から五年。政策は著しく動いた。この五年は、期待と失望と再度の期待というような目まぐるしい展開の連続であった。
筆者を含め、霞が関も、有識者も、決定打となる答えを示せていないのである。
しかし、海外においては、子どもの貧困に対する膨大な試行錯誤の蓄積があるし、日本においても、さまざまな取り組みが始まっている。
本書は、これら子どもの貧困政策に関する国内外の研究のこれまでの知見と洞察を総動員するものである。この本の全ての読者が、子どもの貧困についてどのような対策を打てばよいのかを考える。
そのプロセスによって、日本での対策が少しでも前に進めばよいと願っている。
- 第1章 子どもの貧困の現状
日本の子どもの貧困率の手がかりとなる確かな行政データは、就学援助費の需給率であろう。就学援助費とは、低所得者世帯の子どもの義務教育にかかる費用を国と自治体が支援する制度である。
所得制限を下回るすべての世帯が受給しているかどうかが定かではないので、下方推計となる恐れもあるが、少なくとも子どもの貧困の規模を示す手っ取り早い目安である。
近年、この割合が激増している。97年度には公立中学校に通う子ども達の6.6%であった受給児童数が、2011年度には15.58%にまで増加している。
就学援助費の受給率は前述の通り精確さに欠ける面がある。そこで相対的貧困率を見てみよう。
子どもの貧困率をみると、85年の10.9%から09年の15.7%へと上昇していることが分かる。
2009年の相対的貧困率は、就学援助費の受給率とほぼ同じであり、6~7人に一人の子どもが貧困状態にあると推測される。
この図から気づいていただきたいことが三つある。
一つは、85年の時点においてさえ、日本の子どもの貧困率はすでに10.9%あったことである。すなわち、「子どもの貧困」は決して、リーマンショック以降の「新しい」社会問題ではない。
二つ目は、85年から09年にかけて、多少の増減があるものの、子どもの貧困率が右肩上がりに上昇し続けていることである。これは、貧困率の上昇が、単なる景気動向に影響されているものではないことを示している。
三つ目が、子どもの貧困率の上昇のペースが、社会全体の貧困率の上昇のペースに比べて速いことである。
国際的に見ても、日本の子どもの貧困率は決して低くない。とくに、日本の一人親世代に育つ子どもの貧困率は58.7%と突出しておりOECDで最悪である。これは、一人親世代の大半を占める母子世帯の貧困率がとくに高いためである。
さらに、親の学歴別に貧困率をみると、学歴による格差は明らかである。親の学歴が中卒である場合は貧困率は45%と半数近くとなるが、大卒以上であると8%となる。
次に貧困の「深さ」に着目していこう。
教育学においては、親の所得と子どもの学力がきれいな比例の関係にあることが実証されている。
子どもの健康状態についても、貧困層の子どもとそうでない層のこどもには、統計的に優位な差がある。
相対的貧困のとりわけ恐ろしいのは、その影響が学力や学歴の格差に留まらない点である。
最新の海外の研究によると、相対的貧困が子どもに及ぼすいちばん大きな悪影響は、親や家庭内のストレスがもたらす身体的・心理的影響だという。
子ども期に貧困であることの不利は、子ども期だけに留まらない。この不利は大人になってからも持続し、一生、その子につきまとう可能性がきわめて高い。
子ども期の貧困経験が、大人になってからの所得や生活水準、就労状況にマイナスの影響を及ぼすのであれば、その不利がさらにその次の世代に受け継がれることは容易に想像できる。
諸外国においては、「貧困の社会的コスト」という観点から、貧困対策の費用を捻出する根拠を導いている。
もし、国がA君の子ども期に、彼が貧困を脱却する可能性を高めるような支援をしていたらどうであろう。
国は、A君が払ったであろう税金・社会保険料を受け取ることができるうえに、生活保護費や医療費などの追加費用を払う必要がなくなる。
つまり、長い目で見れば、子ども期の貧困対策はペイする可能性が高い。逆に言えば、貧困を放置することは「お高く」つく。これが「貧困の社会的コスト」である。
一つの問題は、このようなコストを計算するためのデータや施策が日本では揃っていないことである。
完璧なデータが欠如しているなかで、私たちは、さまざまな仮定をおいて貧困の社会的コストの推計をしていくしかない。
貧困そのものに対処をしなくとも、経済状況さえ改善すれば貧困はおのずと解消していくという議論がある。
しかしながら、それをあまり期待できない要素はそろっている。
まず、景気の動向にかかわらず、根本的なトレンドとして、貧困率は上昇している。このトレンドが逆行しない限り、景気が回復しても、子どもの貧困率の上昇は止らないであろう。
そして、日本はGDP比でみる貧困層への社会支出はきわめて小さいのである。そもそもが、貧弱な貧困政策なので、GDPが増加しても急激にその貧困削減効果が大きくなるわけでない。
- 第2章 要因は何か
(1)金銭的経路
貧困の連鎖の経路として、まず念頭に浮かぶのが、教育に対する投資である。
(2)家庭環境を介した経路
貧困や低所得が子どもの成長に影響する経路についての一つの有力な説が、「家族のストレス」説である。
恐ろしいことに、親のストレスが及ぼす子どもへの影響は、胎児の段階から蓄積されるのである。強いストレスを抱えた母親から生まれた子どもは出生体重が少ない。さらに、生まれた後も情緒的な問題を抱えるリスクが高くなる。
貧困にあることは、子育て時間にも影響する。また貧困と社会的孤立は密接な関係にあり、当然ながら貧困層の親は、社会的に孤立している割合も高い。
(3)遺伝を介した経路
最も頑強に語り継がれている仮説が「遺伝説」である。しかしながら、親から子への認知能力の遺伝が、貧困の連鎖を引き起こす影響は限定的であるというのが、学術的に分かってきている。また、認知能力と、成人後の所得の関係もそれほど強いわけではない。
(4)職業を介した経路
親と子の社会的地位が継承されるもう一つの大きな経路が職業である。
自営業をはじめ、有形・無形の資産が存在し、このような資産を受け取れる子どもは、親から何も受け継げない子どもに比べ有利なのはいうまでもない。
(5)健康を介した経路
成人の健康度合いと経済状況には明らかな関係がある。経済状態が悪い人は、健康状態も悪いのである。
近年は、子どもにおいても、子どもの健康と経済状況に相関があることが明らかになってきた。
なぜ、子どもの健康には格差が生じるのか、医療経済学からは二つの説が提示されている。
一つは、貧困世帯の子どもは病気や怪我をしたとき、その影響が大きいということである。
もう一つの説は、そもそも、貧困層の子どもは、そうでない子どもに比べて、病気や怪我をしやすいというものである。
実は、この健康を介した経路は、教育を介した経路と同じくらい大きいのではないかと欧米では考えられている。
健康を介した経路の中でも、子どもの貧困との関連がとくに強いと疑われるのが、発達障害と知的障害である。
筆者が言いたいのは、貧困層の家庭においては、このような障害の影響がより顕著であるのではないかという点である。
どのような家庭でも発生するものであるが、家庭の経済状況によって、対処が遅れてしまい、その症状からの影響がより大きく表れてしまう可能性がある。
(6)意識を介した経路
貧困層の子どもは、親からの期待も低く、自分自身も自分が社会にとって価値のある人間と思っていない。
このような自尊心・自己肯定感の低さは海外においても報告されている。
(7)その他の経路
一つが地域である。アメリカでは居住地域における富裕層の率や、貧困層の率は、子どもの学力に影響するという研究成果がいくつも存在し、また、地域によって学校の質に違いがあるのも事実である。
また、目標となるような大人の欠如も、貧困の子ども達が抱える問題として指摘されている。
そして、家庭環境に問題を抱える子どもは、早く自立を迫られることが多い。彼らは劣悪な労働市場で働かせられることになり、女子の場合には風俗産業に身を投じることも少なくない。
これらの経路の相対的な強さをはかるためのデータベースは現実には存在しないので、社会科学的にどの経路が一番重要かという問いに対して解を出すのは事実上不可能である。
全ての経路を考慮した分析は不可能であるものの、一部の経路を考慮した分析であれば試みられている。
一つ目の研究は、発達心理学からの成果である。菅原(2012)は、家族ストレスモデルと家族投資モデルの強さを同時に分析している。
菅原によると、家族ストレス経由の関連は知的側面よりも情緒的側面により強く見られ、反対に家族的投資経由の関連はより知的側面との間に強くみられることが確認できたという。
二つ目は阿部(2011)である。子ども期と成人期の貧困の連鎖を見ているが、要因として「低学歴」「非正規労働」「現在の低所得」の三つを挙げている。
いちばんよく語られる経路である「子ども期の貧困→低学歴→非正規労働→現在の低所得→現在の生活困窮」のパスであるが、この分析からわかることは、私達が想定しているおりも大きく多彩な経路が学歴-労働パス以外にも存在するということである。
ここの経路を抑えれば、すべてうまくいくといったような、魔法の解決策は存在しないであろう。たしかなことは、私達には、貧困の要因の完全解明を待つ余裕はないということである。
まず、本章で紹介したさまざまな経路の中でも政策的に介入できるものと、介入できないものがある。
また、比較的介入のイメージが湧きやすいものもある。知的障害・発達障害への早期発見と手厚い支援で手当てをすることは可能であろう。
- 第3章 政策を選択する
さまざまな政策オプションをすべて実施できれば申し分ないが、今、日本の財政は危機的な状況である。
たくさんの政策の選択肢の中から、実施する政策を選ぶ際に、一つの判断基準となるのが政策の効率である。
実際には政策効果の検証は非常に難しい。そもそも、多くの日本の政策は、効果測定が念頭に置かれていないので、それが計れるように制度が設計されていないのである。
だとすれば次に考えられるのが、外国で効果があったプログラムを日本に適用することである。この方法はずっと賢明だが、注意が必要である。
まず、考えなくてはならないのが、プログラムが前提としている社会の状況や社会的保障制度が国によって異なることである。
仮にさまざまなモデル事業を実施することが可能であるとしよう。次は何を効果として計るかという問題である。
プログラムAが学力テストの点数を10点上昇させた、プログラムBは将来病気となる確立を10%減らした。私たちはどちらのプログラムを選ぶべきなのか?
その際に忘れてはならない視点が、費用対効果である。このような観点で、貧困対策プログラムの効果を計った研究はアメリカに存在する。
まず、子どもの貧困対策プログラムの多くは、大きい収益性が期待できることである。いくつかのプログラムでは、費用の数倍から10倍以上の効果が推計されている。
政策やプログラムの評価の手法を知ることは、これからの日本における政策を考えるうえで貴重な示唆となる。
まず、数ある政策の選択肢の中から実施する政策を選ぶために、長期的な収益性の観点が欠かせないことである。
子どもの貧困に対する政策は、短期的には社会への見返りはないかもしれない。しかし長期的にみればこれらの政策はペイするのである。
すなわち、子どもの貧困対策は投資なのである。費用でなく投資と考えることによって、政策の優先順位も変わってくるであろう。
次に、プログラムの実施においては、そのような投資の収益性が測定できる制度設計、モデル事業を取り入れるべきである。
最後に、プログラムの選択においては、その対象者を吟味しなければいけないことである。より効果が高い層に、政策の恩恵が集中するような設計をするのが望ましい。
これは簡単に言えば、とくに難しい状況に置かれている子どもを優先するような政策を選択していくことである。
- 第4章 対象者を選定する
貧困に対する政策には、川上対策と川下対策がある。この二つの決定的な違いは、貧困者や弱者を選別するかどうかである。
川下対策は貧困者のみを対象とする制度であるため、貧困者かそうでないかの判定をしなければならない。
対象者の的を絞って選別するので、川下対策は選別的制度である。
対して川上対策は、判定をせずに全ての人を対象とする。裕福であろうとも貧困者であろうとも同様に扱う。その人の権利として受け取るものである。
救済なのか権利なのか、この二つには給付をする側にも、給付を受け取る側にも、決定的な意識の差がある。
意識以外にも、普遍的制度と選別的制度は、大きな違いが多々ある。普遍主義論者は、川下対策に対する批判をこう展開する。
第一の批判は政治的なものである。日本においても生活保護バッシングの高まりとその後の生活保護の改革があった。
その時々の世論や政策論の色合いによって川下対策が縮小されたことは記憶に新しい。
あくまでも社会の一部の人を対象とするため、反感も受けやすい。逆に普遍的な制度であれば、権利として確立し縮小不可能となる。
長期的には、貧困層の子どもに確実に給付を続けるためには、普遍的な制度とするほうが良い
第二の批判は、川下対策で受給することは、受給者を社会から孤立させることである。対象が絞られれば絞られるほど、その対象者となることは社会的排除の引き金となるのである。
第三の批判が、選別にかかる費用の問題である。一人ひとりの個人の世帯所得をきちんと把握しようとするための行政コストがばかにならないというものである。
このコストは行政側にも受給者側にとっても非常に大きい。
第四の批判は、所得制限があることによる労働インセンティブの低下である。その点、普遍的制度は働こうと働くまいと給付の内容が変わらないので、労働インセンティブには影響を与えない。
そして、第五が漏給の問題である。どんなに精緻な選別のプログラムであっても、漏れてしまう子供がいる。
貧困対策プログラムの補足率はどの国においても100%とはいかない。日本の生活保護については、厚生省の32~87パーセントという推計もあるが、研究者らの間では10~30%というのが通説となっている。
それでは、普遍主義の欠点、逆に言えば選別主義の利点はなんであろう。
選別的制度の最大の利点、そして、普遍的制度の最大の欠点は、財政負担が大きいことである。
むしろ、同じ財源規模であるならば、所得制限を課して、より多くの資源をニーズの高い子どもに給付すべきであるという主張がなされるだろう。
広く薄く給付をするのではなく、狭く厚く給付をしたほうが効率的という議論は、貧困対策の推進派からも消極派からもあがる。
しかし、不思議なことに、普遍的制度に対するこの批判は現金給付のみに強く主張されるものの、多くの他のタイプの普遍的制度については主張されない。
誰も、富裕層の師弟が国のお金で義務教育を施していることを税金の無駄遣いとはいわない。
医療サービスも富裕層も同じ三割負担である。
ここまでの議論で不足しているのが、費用負担の論議である。
誰に給付すべきかだけでなく、誰がその費用負担をするかを同時に考えなければならない。
普遍的制度には大きな財源が必要である。財源負担は、しっかり累進的にするべきであるということに前提を置いている。
富裕層に高い給付をするものの、それを上回る負担もしてもらうことで、財源を確保することをめざしているのである。
多数の先進諸国のデータを分析した結果、普遍的な制度をもつ国ほど、所得格差を縮小することに成功してたのである。
普遍的制度を持つ代表的な国はスウェーデン、選別的制度の代表はアメリカである。
なぜ、普遍主義の国のほうが高い格差縮小の効果を持つのか。その理由は、再分配された富の絶対量である。
つまり、普遍主義の国のほうが大きい政府となり、結局のところ、再分配される富の規模が大きかったのである。
しかし、近年になって、この選別主義のパラドックスを覆す研究が発表されている。
結局のところ、貧困削減にゆうこうであるかどうかに一番効いてくるのは、再分配のパイの大きさであって、普遍主義か選別主義かという違いではなさそうである。
日本においては、国民皆保険、国民皆年金をキーワードとした社会保障制度が整備され、一見普遍的制度が主要となっているように見える。
しかし、どうも日本の国民の多くは普遍的な現金給付をバラマキと感じており、高所得層への給付を快く思っていないようである。
日本の財政状況や、普遍的制度に対する感情を考えると、普遍的な制度が選択される可能性は小さいといえるであろう。
だとすれば、選別的制度の欠点を最小にしつつ、効果的に対象者を選別する制度設計を考えていかなければならない。
ターゲティングについては、所得制限を念頭において話をすることが多い。
他には地域を絞る、学校や施設のタイプで絞る、子どもの年齢で絞ることなども一つの手法である。
どのような制度であれ、その恩恵を受ける子ども達が、このような感情をもたずにすむような制度設計を考えなくてはならない。
まとめ
どれもまっとうな内容であり、あとはどのような制度設計をしていくかは政治問題、つまり有権者の意思決定に関わる問題であると思われます。後半へ続きます。