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主にミネルヴァ書房の本が好きでよく読んでいます

コリアー 『最低辺の10億人』 5 軍事介入、法、貿易

http://naganaga5.hatenablog.com/entry/2014/03/11/223808

の続きです。

 

窮乏する最低辺の国々を救うための手段は何があるのでしょうか。

そして我々には何ができるでしょうか。

 

最底辺の10億人

最底辺の10億人

 
  •  第8章 軍事介入

 

 イラク戦争以降、軍事介入への支持を訴えることは非常に難しくなった。

 この章は著者にとって一番厄介なパートである。

 なぜならば著者は、本章で、底辺の10億人の社会を助けるためには、外部からの軍事介入が重要だと強調したいからである。

 1990年頃までは、失敗国家への国際的な軍事介入は冷戦の延長にすぎなかった。

 侵略者を追放するという意味で、クウェートは明らかに国際的介入の好例である。

 しかし外国の軍事介入には、他にも重要な三つの役割がある。それは秩序の回復、紛争後の平和の維持、それにクーデターの阻止である。

 

 豊かな国の軍隊はもはや底辺の10億人諸国では役割を失ったという主張は、政治的に公正な意見とされている。

 紛争後の情勢やクーデターのリスクに対しては、なぜ底辺の10億人の政府は自国の治安部隊に頼れないのだろうか。

 政府が最大の危機に直面しているまさにその状況のために、自国の軍事組織はその解決策ではなく、むしろ問題の一部なのである。

 政府が選択した軍事支出のレベルは、政府が直面する内戦のリスクを反映していることが判明した。

 紛争後の政府は異常に高いリスクに直面しているため、より多く軍事費に費やす。

 

 多額の軍事費の支出が、紛争を抑止する上で有効かどうか検証することにした。

 結果的には、軍事支出が紛争の抑止に完全に有効でない限り、多額の出資がかえって紛争の再発に関係していた。

 そして最終的に発表した結果では、紛争後の状況下で多額の軍事費の支出は解決にならず、逆に問題であることがわかった。

 クーデターの明らかな特徴は、それが自国の軍部の企てであるということである。

 クーデターの危険が非常に大きい時には政府は軍を買収しようとするのだろうか。著者はそうした疑問を抱いた。

 もしそうだとすれば、軍は「上納金」目当てに大掛かりなゆすりをしていることになる。

 ここでひとつはっきりとした疑問がある。クーデターのリスクが非常に大きい時には、軍事予算は引き上げられるだろうか。

 著者の研究によれば、底辺の10億人の諸国の政府では、間違いなく軍事予算は増発されていた。

 底辺の10億人の政府は苦境に陥っている。彼らはまさに自国の軍隊に脅迫され大掛かりなゆすりたかりにあっている。

 底辺の10億人の諸国の多くでは、軍事費のおよそ40%が不本意にも援助から調達されている。

 そしてわたしたちの援助プログラムが犠牲になっている。

 クーデターは通常、政府交代の方法として機能しない。

 これがクーデターに対して、国外から軍事的保証を与えなければならない理由だ。

 そして政府はわたしたちの援助をゆすり取られるかわりに開発に利用することができるだろう。

 

  • 第9章 法と憲章

 

 ここまで援助と軍事介入についてみてきた。その両方とも有益だが、非常にコストがかさむ。一方は金が掛かり、他方は決断力が必要である。

 ここでははるかに安くつく一連の介入について触れる。それは二種類に分かれる。

 一つは底辺の10億人の国の利益になるような私達の法律の改正であり、もうひとつは行動を導く上で役立つ一連の国際的規範である。

 

 経済成長自体によってチェック機構が保証される水準にまで所得が向上すると、その後の改善は継続的に自律的に増進されていく。

 このためチェック機構を促進する国際的な努力は一時的なもので済むようになる。

 1990年代に開発途上国に、そして現在では中東にまで広がる選挙導入の波は、政治的規制への熱意でさらに保管されなければならない。

 予算のプロセスについての憲章には、トップダウンと同様にボトムアップの監視体制を明記することも可能だろう。

 さらに三番目の監視体制があり、いわばこれは「横から」であり、国同士の相互の比較である。

 この横からの監視体制は「アフリカ相互監視機構」(APRM)として知られるプロセスの中で浮上した。APRMはOECDをモデルにして設立された。

 アフリカ諸国が自主的に自己評価を行い、また各国政府が互いを比較しランク付けをしており、有益である。

 この三タイプの監視体制は事前と事後に機能する。

 「事前」とは支出の承認についてであり、「事後」とは追跡の評価についてである。

 最後に支出について非常に異なった二つの側面を監視しなければならない。それは支出の公正性と効率性である。

 改革者は公正性に重点をおくが、効率性のほうがはるかに重要である。

 予算の監視のための憲章は複雑である必要はない。それは以上に述べた三方向の監視と、二つのタイムフレーム(事前、事後)と二つの基準だけである。

 底辺の10億人諸国に監視体制を持ち込むには勇気が必要だが、たぶん国際憲章があれば、敷居は少し低くなるだろう。

 

 底辺の10億人の国に関係する国際憲章について最も広範にわたる状況が、紛争終結である。

 紛争後の憲章には援助側と国際安全保障機関の行動に関する指針が含まれるべきである。

 紛争後の政府が成約のない主権を与えられる以前に、最低限許容できる進展を規定したルールの下で、最初の10年間は事実上の保護観察下に置くべきである。

 

  • 第10章 周縁化を逆換させる貿易政策

 

 底辺の10億人の国の問題の大半は豊かな世界の市民が責めを負うべき類のことではない。

 しかし、著者はある問題については豊かな世界の市民に責任があると考える。

 貿易政策について無知であることの影響に対しては彼らは責任を負わなければならない。

 本来まったく戦略的な動機ではなかっただろうが、保護貿易は表向き底辺の10億人の国の戦略だった。

 企業が無風無憂を享受する一方で、そのつけを払うのは保護政策によって国際水準以上のインフレに苦しめられる一般国民だ。これが保護の意味するところである。

 なぜ底辺の10億人の政府は高い関税障壁を採用するのだろうか。それは関税障壁が汚職の大きな源泉の一つであるからだ。

 追加援助にはアフリカの貿易自由化が伴うべきであり、さもなければ援助は貧困を深刻化することにもなる。

 援助が使えるのは輸入だけだ。援助はドルやユーロなどの外貨である。

 政府が援助を学校に使うことにすれば、現地通貨を調達するために外貨を売らねばならない。

 人々は輸入品に支払うため外貨を買う。このように人々が輸入品を購入したいと思うときにだけ、援助には価値がある。

 追加援助は輸入品の供給を増すが、それに見合うだけ輸入需要も増える必要がある。

 

 底辺の10億人の国の製造業は衰退している。30年間の保護政策のなかで、生産性は停滞し寄生的傾向を強めていった。

 どうすれば製造業は生産性を向上させることができるだろうか。

 輸出から学ぶことは特に多い。ダイナミックな製造部門を持つことができるとすれば、それは輸出市場への参入によって果たされるだろう。

 その政策はいわゆるフェアトレードではなく、また「貿易の公正」と評されるものでもない。

 底辺の10億人の国は輸出品目を労働集約型製造業とサービス業に多様化する必要があるが、これはすでにアジアが行っていることである。

 OECD諸国が、その市場で底辺の10億人の国を保護するために、アジア諸国に対して新たに関税を課すなどはありえない話だし、すべきでもない。

 そうではなく、OECDは、アジア諸国がすでに関税をかけているところで、底辺の10億人の国に対する関税を撤廃すべきである。

 この戦略は緊急に取るべきだ。