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コリアー 『最低辺の10億人』 4 どのような援助が求められるのか

続きです。

http://naganaga5.hatenablog.com/entry/2014/03/10/222739

 

 

最底辺の10億人

最底辺の10億人

 

 

 最低辺の10億人の国々が陥る罠については分かりました。私達が取るべき心構えについても分かりました。では、具体的にどんな手段を必要とされているのか。その手段はただの自己満足ではなく、根拠に基づいたものであるのか、著者なりの答えが以下です。

 

  • 第4部 われわれのとるべき手段

 

  • 第7章 救済のための援助となっているのか?

 

 ここまでの話をまとめてみよう。

 およそ10億の人々が住む国々は、四つの罠のどれかに捕らわれている。

 その結果ほかの途上国は空前の速度で成長しているが、これらの国は停滞するか凋落を続けている。

 停滞した貧国の国に生きる10億の人々とともに生きる未来は、私達が許容できるようなシナリオではない。

 このために私達は何かをすべきである。では、なにをすればよいのか。

 まず援助の問題から始める。これまではほとんど使われなかったが有効と思われる三種類の手段を取り上げることにする。

 

 援助がなければ底辺の10億人諸国は、今以上に貧しくなっていただろう。

 援助は崩壊を食い止める現状維持策だったのである。

 援助をより効果的にしてその九州余地を増加できるように、援助の方法を変えることができるだろうか。

 文字通り援助は国家財政を支援するのである。しかし多くの底辺の10億人諸国では、予算の状態は健全でなく、時にはグロテスクですらある。

 ただ金を与えて効果が上がるのは、よく統治された国においてだけである。

 

 著者とアンケは反乱とクーデターについていつもの方法を採用した。反乱とクーデターの原因分析に援助を持ち込んだ。

 概して援助は内戦リスクに直接的な影響はないが、後に触れるように間接的には影響がある。

 またクーデターはさらに別の問題である。事実大規模な援助はクーデターを誘発しやすい。

 一方、天然資源は反乱を助長するが、援助の方は助長しない。しかし、クーデターは援助によって助長される。

 なぜこうした違いがあるのだろうか。

 たぶん反乱は普通長期間に渡るため、援助の可能性だけでは強力な誘引にはならない。

 これに対して資源の連とは、内戦中でもずっと入手でき、反乱者にはこのましい。

 では、援助はなぜ反乱を刺激しないのに、クーデターには援助が誘い水になるのか。

 それはおそらく、クーデターが決着するには何年もかからないからだろう。

 事実上クーデターは始まった途端に終わってしまい、成功した場合には、すぐに援助をわがものにできる。

 

 援助はもともと第二次大戦後のヨーロッパを再建するために発案された。そしてその機能を十分に果たした。

 しかし最近では紛争後の情勢に対する援助には欠点があり、それはあまりに少額で、早すぎ短すぎることである。あまりにも早く実行されるのだ。

 そして最初の数年間は援助が殺到するが、たちまち枯渇する。

 しかし紛争直後の国家は典型的に、恐るべきガバナンスと制度と政策の下にあるのだ。

 このため大型援助は最初の数年間だけでなく、紛争後10年間は継続されなければならない。

 

 第二の罠は天然資源の罠だった。率直に言って、ここでは援助はかなり無益である。

 

 第三の罠は内陸国であることの罠である。これらの国は基本的に長期にわたって国際的な援助を必要としている。

 これらの国にとっては、援助とは開発への一時的な刺激としてではなく、援助が生活水準に必要最低限なものをもたらすものとしてなされる必要がある。

 援助は、内陸国の生命線である地域の輸送路の整備に充てられるべきである。しかしそれは実現していない。なぜだろうか。

 一つは、インフラ整備が少なくとも援助機関の間で流行らなくなったからである。

 またインフラ整備からの重点シフトは、健康や教育など"絵になる"社会的優先事項や、ますます神聖視される環境問題に援助を回すべきだという圧力が強まったことにもある。

 また地域の輸送路が無視された別の理由は、援助プログラムが圧倒的に国別に組まれるためである。

 

 第四の罠はきわめて劣悪なガバナンスと制作である。援助を受けることでこの罠から脱出することはできるだろうか。

 ここに追加的援助の最も大きな活用の余地があるように著者には思える。

 援助が潜在的に方向転換を促進する三つの道がある。それはインセンティブ、スキル、それに強化である。

 援助が効果を上げるかどうかは、政策が今後どのように変化しつつあるかではなく、達成された政策の水準により判断される。

 そして、約束を必要とすること事態を避ける――こうした考えのほうが研究による証拠と整合的なのである。

 唯一の問題は、これによって最大の問題を抱えた国が援助から締め出されることである。

 失敗の国家に政策の改善を促す方法としては、事前の政策コンディショナリティは無意味である。それは機能しない。

 「ガバナンスコンディショナリティ」という非常に異なった考え方をしてみよう。

 この融資条件の主な目的な権力を政府から援助側に移すのではなく、権力を政府から国民に移行することである。

 事後の形でのガバナンスコンディショナリティは関心を集めてきている。

 しかし、いささか驚いたことに、事前のガバナンスコンディショナリティを採用している援助機関はない。

 こうしたアプローチがもたらす利点は、追加援助が与えられるためには、政府がどのような期間になにをなすべきかがより明確になることである。

 

 著者たちは援助を、政府に対する技術協力と資金援助の二つのタイプに分類することにした。

 ここでは技術協力に焦点を当てる。援助の1/4が技術協力の形で供与されることは、いくらか物議をかもしている。

 援助される側が資金を目にすることがまったくなく、代わりに人を与えられるからである。

 残念なことに方向転換前の失敗国家に対する技術協力は、転換が起きる可能性にほとんど影響を与えない。

 しかし、改革が始まって最初の4年間、特に最初の2年間は、技術協力は改革の勢いが持続されるチャンスに非常に良い影響を与える。

 それではプロジェクトや財政支援のために政府に供給される援助金はどうだろうか。

 著者たちはここでも同じアプローチをしたが、結果はまったく異なっていた。

 改革のはじめに与えられる援助金は、実際、逆効果で、望ましくない結果を生む。改革は勢いを維持できなくなる。

 しかし、改革が数年続いたあとには、技術協力と税制援助の統計的な効果は逆転する。

 技術協力は無意味になり、あるいは逆効果になる。

 なぜならばある段階で政府には、外部の専門家に依存し続けるよりは、独自の能力を築く必要が生じるからである。

 一方財政援助は役に立つようになり、改革のプロセスを蝕むどころかプロセスを強化していく。

 つまり技術と資金の援助は一連のものでなければならない。

 失敗国家を方向転換と導く上では、援助はあまり効果的ではなく、政治的機会を待たなければならない。

 しかしチャンスが訪れたら、改革の実行を支援するためにできるだけ早く技術協力を行い、それから数年後に政府が使用できる資金を援助するのである。

 

 被援助国が方向転換する前におこなう援助の有効性は、その供与の仕方にかかっている。

 援助が適切に使われることを保証する方法は、プロジェクトを通じた出資である。

 調査の結果、失敗国家にでのプロジェクトの管理監督に援助機関が使う経費の有効性に差異があることがわかった。

 その有効性の差こそが、著者たちの結果の核心である。

 援助機関が失敗国家で活動するときには、現実に支出する資金に対して、かなり高い割合の管理コストを予算化すべきだ、というのが明らかになったのである。

 援助機関が活動しなければならない環境で効力を発揮するためには、援助機関は一層管理コストを支払わなければならない。

 

続きます。