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コリアー 『最低辺の10億人』 2 国家に襲いかかる罠とは

続きです。

http://naganaga5.hatenablog.com/entry/2014/03/07/220546

コリアーは世銀での経験から、スティグリッツやサックスらの薫陶も受け、最貧国の成長のプロセスを阻害する4つの罠を喝破します。下がその4つの罠です。

 

最底辺の10億人

最底辺の10億人

 
  •  第2部 これらの国を捕らえる数々の罠

 

  • 第2章 紛争の罠

 

 すべての社会には紛争があり、紛争は政治につきものである。

 底辺の10億人の国に際立つ特徴的な問題は政治紛争なのではなく、その形式である。

 内戦とクーデター、この二つの政治的紛争のコストは大きく、また繰り返される可能性がある。そして国を貧困の中に閉じ込めてしまう。

 

 著者達はミシガン大学で包括的な内戦のリストを入手することができた。

 これによって各国ごとに、また各年ごとに、大量の社会経済的データと対比することができるようになった。

 戦争の危険と所得の水準の関係に、著者たちはまず着目した。内戦は低所得の国のほうがずっと起こりやすい。

 因果関係を混同しているのではないかという疑問を抱くかもしれない。

 例えば貧困が国を内戦に駆り立てるというよりも、戦争が国を貧困にするのではないかと。実際はその両面が言える。

 低所得、低成長、一次産品への依存が内戦の可能性を高めているが、それらが内戦の真の原因だろうか。

 反乱組織の不満にもきっと十分な根拠があるはずだと思われるであろう。その考えには一般に受け取られているほどの論拠はない。

 基本的には政治的抑圧と内戦の危機には相関関係はない。また民族的マイノリティは、差別されていようといまいと関係なく、反乱を起こす傾向にあった。

 アンケ・ヘフラーと著者は所得の不平等の影響について調査したが、驚いたことに内戦との関係は見当たらなかった。

 この論理をさらに推し進める気はない。差別や抑圧を行う政府を許すわけにはいかないからである。

 次に幻想について語ろう。すべての内戦は民族紛争に基づいているという錯覚がある。

 統計的には民族の多様性と内戦の起こりやすさにはそれほどの関係はないが、私たちは一定の影響は見出した。

 一つのグループが人口の大半を占めているが、他のグループもそれなりの勢力を維持している社会(これを民族的優位と呼ぶ)のほうが実際に、内戦の可能性が高い。

 

 内戦が起こる要因は、このように数多くある。そして最も重要な問題は、紛争の終結が何によって決まるかだろう。

 ここでも再び低所得が重要な意味を持つ。内戦が始まったときの所得が低ければ低いほど、内戦は長期化する。

 また国の輸出産品の価値が上がれば上がるほど、戦費を調達しやすくなり、内戦は長く続く傾向がある。

 内戦は非常に長期化する。国際的な戦争は厄介なものでも平均半年である。

 これに対して一国内の内戦は、始まったときには小規模なものでも、国際紛争よりも10倍以上は長く続き、開始時に貧困であるほど長引く。

 

 最期に、内戦のバランスシートについて考えてみる。

 内戦によって国の成長は年間でおよそ2.3%低下する傾向にあり、つまり7年間戦争を続けると、国はおおよそ15%貧しくなる。

 経済的損失と疫病は継続し、戦闘が終わっても、この二つは終わらない。

 内戦のコストは、たぶんその半分は、戦争が終わった後に生じる。

 そのコストの多くは近隣諸国も負担することになる。疫病には国境がなく、経済の崩壊も国境を越えて拡散する。

 

 貧困、経済の停滞、一次産品への依存、これらは底辺の10億人の国々固有の問題と重なっているのである。

 これらの国がすべて紛争の罠にかかっているわけではないが、そうなりやすい傾向が底辺の10億人の国すべてにある。

 成長なしには平和はますます困難になる。そして底辺の10億人の住む社会では、経済は行き詰っている。

 このため紛争の罠とクーデターの罠を、これらの社会が自らの力で打破するのは容易なことではないのである。

 

  • 第3章 天然資源の罠

 その国が政治的に安定している場合でさえも、天然資源の発見によって成長できないことがある。

 実際に天然資源の輸出による黒字は成長を著しく鈍らせる。

 底辺の10億の人々の29%は、資源の富が経済を支配する国に生きており、底辺の10億人の国について語る場合には、資源の富が重要な意味をもってくるのである。

 

 資源のレントは民主主義を機能不全にする。これが資源の呪いの核心である。

 著者達は天然資源から生じる収益を各国の政治制度と照らし合わせてみた。

 石油および他の天然資源による収益は、選挙競争によるプレッシャーとはとりわけ相性がよくないことがわかったのだ。

 天然資源からの収益が大きい場合には、独裁国家は民主主義国家の経済パフォーマンスをしのぎ、その正味の効果も大きいのだ。

 これから示唆されるのは、資源の豊富な民主主義国家が投資を控えたということである。

 民主主義的な政治がなぜ資源国でうまくいかないのか。

 資源のレントが多ければ、選挙運動の進め方が変わる。基本的にはそれは買収や懐柔などの利益誘導政治を招く結果となる。

 言論の自由が欠如し、また民族の忠誠心が高い環境の中では、利益供与が票を獲得するための費用対効果の高い手段となる。

 この結果、有権者に訴える方法として公益事業を選ぶ非現実的な政党は、ただ選挙で敗北するだけなのである。

 

 言うまでもないことだが民主主義は、経済への影響とは関係なく、多くの重要な理由から望ましいものである。

 ほとんどの底辺の10億人の国々にとっても、経済の側面から見て独裁制は好ましいことではない。

 また底辺の10億人の国の多くで独裁性が機能しない大きな理由がある。それは民族の多様性である。

 世界的に見て多様な民族の国では、独裁制は成長を減速させる。

 その一番もっともらしい理由は、民族の多様性が独裁者の支持基盤を狭める傾向があることである。

 社会的支持基盤が小さければ、収益を独裁者の支持層に配分するために、成長を犠牲にするような経済政策をとることになる。

 著者が示したいと思ってきたのは、独裁制を民主制に変えても、それだけでは十分と言えないということである。

 民主主義の移行にあたっては、様々なグループには激しく選挙を争う動機はあるが、それに対して彼らにはチェック機能を確立しようとする動機はない。

 私たちは幸いなことに、支払い主の立場から資源の罠に関わっている。このため罠を打ち破る手段を手にしており、ただそれを行使するために動いたことがないだけだ。

 

 この10年間に経済学者の間では、地理の重要性に対して関心が高まっている。

 サックスの研究によると、国が陸地に囲まれている場合には成長率はおよそ0.5%低下するという。

 スイス、オーストリアルクセンブルグ、またアフリカではボツワナといった長期間に渡る急成長国を挙げることはできる。

 内陸国だからといって必ずしも、貧困や遅い成長を運命づけられているわけではないのは事実だ。

 しかし、底辺の10億人の国に生きる人々の38%は陸地に囲まれており、これは極めてアフリカ的な問題である。

 

 海への輸送路に乏しい内陸に封じ込められていて、その経路のコントロールが自国の手に負えない場合、長距離輸送を要する産品を国際市場に参入させるのは非常に困難である。

 それ以外にもいろいろな面で隣国は重要な役割を果たす。

 多くの内陸国は海外市場への輸送路として隣国に依存するだけでなく、それがまた直接のマーケットでもあるのだ。

 なにが成長の深刻な障害になるかを検証するにあたっては、内陸にあって出口がないという問題を、天然資源が豊かでない国に一応限定して考えたほうが懸命だろう。

 それでも底辺の10億人の国のうち30%がこのカテゴリーに当てはまるのだ。

 内陸にあろうとなかろうと、だいたいすべての国は隣国の成長の恩恵に与っている。成長は国境の外にまで及ぶからである。

 世界的に見た場合、資源に乏しい内陸国は隣国の成長に便乗しようと、特に努力しているようにみえる。

 このためスイスのような国は、近隣諸国のマーケットに自国の経済を不均衡なまでに順応させている。

 資源が乏しい内陸国は、近隣諸国にチャンスがない場合には成長の停滞を余儀なくされる。

 アフリカを除く開発途上国では、人口のわずか1%が資源のない内陸国に生きている。

 表現を換えれば、アフリカ以外では資源がなく海岸線から遠い地域は国として存立し得ないのである。

 アフリカでは事情が違っている。アフリカの人口のおよそ30%が、資源の乏しい内陸国に住んでいる。

 アフリカの内陸国は隣国を指向しない。そのインフラと政治は国内だけに集中するか、世界市場を目指す。

 隣国は世界市場への経路にすぎなく、それ自体がマーケットではない。

 現状ではたとえ周りに運のよい成長を始める国があったとしても、内陸国には役立たないだろう。

 しかし、資源に乏しい内陸国が劣悪な近隣諸国に囲まれていても、良質な政府があれば事情は違ってくる。

 例えばウガンダブルキナファソの政府は、おそるべき前政権による損害からある程度回復し、10年以上も一応の成長率を維持している。

 

  • 第5章 小国における悪いガバナンスの罠

 

 ガバナンスと経済政策は経済の実績に大きな影響を与えるが、この2つを適切に行うか否かで得られる結果には非対称性がある。

 一方、劣悪なガバナンスと政策は恐るべき速さで経済を破壊する。

 悪い政策やガバナンスは必ずしも罠の面ばかりではない。社会は失敗から学ぶことができるし、多くのそういう例がある。

 中国やインドなど多くの国が政策を変更できたのに、変更できなかった国があるのか。

 なぜある環境では、劣ったガバナンスがこれほど続くのだろうか。

 一つの理由は、すべての人がその損失を被るわけではないからである。

 多くの最貧国の指導者は世界でも超富裕階級に属しており、彼らは現状の変更を好まない。このため国民を無教養で情報不足のまま放っておくほうが有利である。

 勇敢な改革者も戦略を完成する前に、彼らに刃向かう勢力に圧倒されてしまうことが多い。

 

 潜在的に方向転換が出来うる国で、方向転換の可能性を年ごとに推定し、ついでこれらの国についてその潜在的特質を広範囲にわたって調査した。

 三種類の特質が検出され、これによって方向転換が可能かどうか決まることがわかった。

 つまり人口が多ければ多いほど、また中等教育を受けた国民の割合が高いほど、さらに驚くべきだが最近内戦から脱した国ほど、失敗国家にとっての持続的な方向転換が可能になる傾向があった。

 また方向転換にあたって重要でないように思える特質は、民主主義と政治的権利だった。

 改革戦略を策定し実行するためには、教育を受けた批判精神をもつ大衆が必要なのである。

 改革が内戦の後ほど起こりうるという一見奇妙に見える結果があるが、これは決して奇妙なことではない。

 古い利害関係が刷新されるため、政治はいつになく流動的となり、比較的変化させやすくなるのである。

 しかし、ここで悪い知らせがある。全体的に見て、一年以内に持続的な方向転換が始まる確率は、どの年でも非常に低く、わずか1.6%にすぎない。

 事実、この年ごとの確率から数学的期待値と呼ばれるものを算出できるが、それによると失敗国家の状態から抜け出すためには、平均で59年が必要である。

 

 持続の要件と方向転換のための前提条件とを比較した場合、いくつかの驚くべき類似性と一つの驚くべき相違を発見する。

 類似性とは、人口が多くまた教育水準が高い国は二重に恵まれており、方向転換を行いやすく、またいったん転換を始めると成功する可能性が高いことである。

 大きな相違とは、紛争後の経験である。紛争を経験した国では持続的な方向転換自体は達成しやすいが、初期の改革はどれも進行しにくい傾向がある。

 この矛盾した結果からわかるのは、紛争後の情勢が非常に流動的だということである。

 この結果、失敗国家を支援するための私達の政治的介入は、様々な情勢のタイプを差別化した上で、紛争後の情勢を大きなチャンスととらえる必要がある。

 

 失敗国家のコストは年々積み上がっていく。そして失敗国家の成長率は激減していき、絶対的衰退に陥りやすい。また近隣諸国の成長も激減する。

 失敗国家が方向転換するには長い時間がかかるため、これらのコストは将来にわたって続く。

 経済学者は通常将来のコストの流れを「割引現在価値」と呼ばれる単一評価尺度に変換する。

 それに従い著者たちは、失敗の歴史を通じての一カ国の失敗国家のコストは、その国と近隣諸国を合わせておよそ1000億ドルに達すると評価した。

 持続的な方向転換の価値を下限で見積もった場合の評価である。

 後に検証するが、著者は方向転換が成功する可能性が70億ドル以下に見積もられた場合でも、非軍事的介入は行う価値があると考える。

 

  • まとめ

 コリアーは最貧国に構造的に潜む罠をロシアンルーレットに例えます。それは比喩の通りに、長い時間の間に何度でも襲いかかる危険性があり、そして成功とは比べ物にならない破滅をもたらします。次回ではその対処法を考えていきます。

 

続きます。