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主にミネルヴァ書房の本が好きでよく読んでいます

大戦間の日本企業の発展(1914~1937)

 第1次世界大戦時の好況、そして、関東大震災大恐慌を経ての経営史を見ていきたいとおもいます。

 

組織と戦略の時代―1914~1937 (講座・日本経営史)

組織と戦略の時代―1914~1937 (講座・日本経営史)

 

  今現在私達が考える大企業体制は、戦後にルーツを持つのではなく、すでにこの頃に確立されたと言っていいでしょう。日本では現代企業は労働力を内部化することにより出現しました。

第1章 企業組織の成長と産業組織の変化

 紡績業をはじめとする近代企業の発展は巨大企業の成長を伴い、寡占化の進行の帰結として、カルテル活動が活発化しました。同時に、統合された国内市場に限らず、休息に統合が進みつつあった東アジア市場という、広大な市場に直面しました。

  • 第2章 企業組織

 日本では、非熟練工、熟練工、半熟練工のいずれにおいても、労働力の内部化が産業発展の比較的早い時期から見られました。組織内部では職務の垂直的分業関係は発達しておらず、企業内の身分関係は職務階層よりも身分的地位によりました。それは近代的官僚制のそれらとはことなり、家産制や共同体に類似していました。

  • 第3章 生産組織と生産管理の諸相

 生産規模の拡大とともに、新たな生産組織の構築が模索され、科学的管理法が導入されました。それはアメリカにおいて確立されつつあった生産管理法の導入であり、もう一つは個々の企業による自生的な努力によるものでした。それはトップマネジメントによる外部の知識の移転ではなく、高等教育を受けた技術者層などによる知の標準化によるものでした。

  • 第4章 流通構造の変革

 石鹸・化粧品の流通業界は江戸時代以来の伝統的流通機構の系譜を継承し、明治半ば以降に形成された個別の経営主体はそれに比べようもないほど小規模なものでした。しかし、1910年代から20年代にかけて新興の経営者が台頭し、協調と競争により卸売業界の多段階化が進みました。

  • 第5章 人事管理

 1897年から1919年にかけての局面では、新卒採用の過程で対象となったのはもっぱら高等教育を受けた技術者であり、学校に求人を依頼しており採用者の選抜は事実上学校にゆだねられたと考えられます。技術者の中には高等教育を受けていない者が多く含まれており、彼らのほとんどは他社で経験を積んだ中途採用者でした。また、事務系については学歴如何にかかわらず新卒採用が行われるのはごく例外的でした。

 1925年頃からは新卒採用は採用管理の中核に位置づけられ、学校から推薦された候補者をさらに厳しくふるいに書ける方式に転換しました。それには長期不況化という買い手市場の歴史的背景が存在しています。

  • 第6章 企業金融の展開

 この頃、必要な資金を自己資本基本的にまかなうことができたのは、全期間を通じた三大紡績、1910年代の電力産業、20年代の三大財閥だけでした。電力産業は1920年代に内外社債によって、財閥は30年代に株式公開を通じて外部資金を導入し成長を遂げました。

 戦中期の大企業の金融の特徴としては社債の増加が注目され、個人の貯蓄が金融機関による社債投資を通じて産業資金に転化されるという間接投資形態が出来上がっていました。しかし、30年代でも東京株式取引所の圧倒的部分は清算取引で、現物売買は1938年下期は8パーセントに留まるなど資本市場の発達に大きな限界がありました。

  • 第7章 戦間期における産業構造変化と産業組織

 20世紀初めから1919年にかけて、工業の加重平均集中度はほぼ一定に保たれましたが、1919年から1936年にかけては、重化学工業と軽工業の間の集中度格差が縮小したことから産業間効果がちいさくなり、一方で各産業の集中度が低下したため、加重平均集中度は大幅に低下しました。1920年代、特にその後半以降にカルテルが急速に普及し、各産業の利益率を高め、そのことが長期的には企業の存続と参入を容易にして市場集中度を低下させる役割を果たしました。

  • 第8章 対外関係

 日本の紡績企業において最初に中国投資を行った内外綿をモデルに現地経営のプロセスを見ています。

 

まとめ

 新卒採用や人材育成、欧米とは今でもやや趣の異なる企業の金融など、現在の日本の企業的特長の多くはこの時期にほぼ完成されていたようです。紡績が思った以上に国際競争力をつけていたこと、海外事業を発展させていたことが個人的に驚きで、また面白い所でもありました。戦中という時代で大恐慌を経た暗い時代ではありますが、当時のサラリーマンも頑張っていたのだな、と思う次第です。